こんにちは!
旅作案内です。
この記事では
朝来市の鉱山の道
についてご紹介します。
こちらの記事もあわせてお楽しみください。
《自然が作ったアートと太古の空気を味わう玄武洞公園から出石へ》
《自然と都会の間でそぞろ歩きと川べりカフェタイム~新神戸駅周辺》
【行先・日程など】
1 観光日程
9月 上旬 月曜日
2 主な行先
3 移動方法 レンタカー
4 所要時間 半日
【鉱山の道】
この地域に立ち寄るきっかけは、
車で移動するルートを検討していて、
地図に「生野銀山」という
場所をみつけたことでした。
普段の車移動時のピックアップは
道の駅や地元の直売所など、
地元の食が確保できそうな辺りがなのですが、
「銀山」の文字に、
好奇心がむくむくと起きました。
色々と調べてみると、
資料館などもあり、
さらに昭和まで銀の生産が
続けられていた山とわかりました。
通り道なのに、
スルーという選択肢はありません。
【生野鉱物館】
生野銀山に着いたら、
それはそれは立派な門構え。
それも菊の御紋付。
私も昭和生まれの人間。
菊の御紋には独特のものを感じます。
戦前は政府直轄鉱山。
日本の経済をささえていました。
坑道に向かう途中で鉱物館へ。
入口で受付を探したのですが、
入場ゲートがあるだけ。
無料の資料館でした。
大航海時代に黄金の国と呼ばれた日本では、
金よりも銀の生産が世界一を誇っていた
ということがわかります。
生野銀山の歴史を勉強して
先に進みます。
【鉱山資料館】
生野銀山の入場料金を払い、
次は鉱山資料館。
鉱山での人々の動きや生活が
模型でよくわかります。
アリの巣のようでした。
【坑道】
坑道の入口を一歩入ったらびっくり!
寒い!
外は30度越の炎天下なのに、
本当に入口を一歩入ると13度。
「中はひんやりかな」と思い、
上着を持っていたのですが、
ひんやりなんてものではない。
これは真夏の炎天下に、
体験してみると面白いと思います。
行動は何故かカボチャから始まりました(笑)
古い時代から現代へ
世界遺産の石見銀山も面白かったのですが、
こちらは昭和末期まで稼働していた山なので、
規模も大きく見応えがありました。
行動入口手前の坂を上がると
奥の方には露天掘りの跡も。
貴重な史跡です。
【春夏秋冬】
鉱山を楽しんだ後は
ランチタイムです。
どこで食べようか迷い、
道の駅も行ってみて
最後に決めたのは、
ジビエ料理のあるこちら。
障がい者の支援をしています。
お庭も雰囲気がよく
可愛い狸がいる(笑)
古民家でした。
【神子畑選鉱場跡】
最後に立ち寄ったのは
神子畑選鉱場。
独特のフォルムの建物を
地図で見つけて行くことを即決。
ここは金銀銅鉛など
多品種を算出した明延鉱山の
選別場でした。
ここに行くと決めた建物が
この写真。
中に入ることはできません。
ややしばらく大きな建物があったそうですが、
平成16年に壊されています。
こちらには生野銀山に技術指導で来た
フランス人技師の住宅が移築され
資料館として残っています。
【まとめ】
好奇心に駆られるままに、
雲海の城「竹田城」行きをやめ、
鉱山コースを選択しました。
まるで大人の修学旅行(笑)
私は北海道出身なので、
鉱山と言うと炭鉱でしたが、
高度経済成長期のさなかに
炭鉱が次々と閉山となり、
何人もの同級生が
転校して行った経験があります。
その頃と同時期に、
閉山になった生野銀山を訪れると、
当時の記憶がまざまざと蘇りました。
閉山とともに過疎化していく街並み。
時代の流れではあるのですが、
せめて遺構だけはと
大切に保存しようとする試みを、
肌で感じました。
歴史の学習は、
支配者の歴史を学ぶことに
終始している気がします。
それも大事なのですが、
日本の経済が、
どのように支えられ、
列国と向き合ってきたのか、
学ぶ機会も大切にしたい。
そんな気持ちになる遺構でした。
【アクセス】
生野銀山は姫路駅から播但線で生野まで1時間少々。生野駅からは予約制乗り合いバスの利用になります。
春夏秋冬は播但線寺前駅下車。バスの川上線に乗車し粟賀営業所下車。徒歩3分。
神子畑選鉱場は播但線新井駅下車。アコバス 神子畑・老波・川上コースで約25分。
いずれも山の中で公共交通機関の本数が少ないので、これらの地点を移動して歩くのでしたら、レンタカーがおすすめです。
地 図
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