雨漏りのないお城のような家に転居し画家は数日後に亡くなった~奄美大島

こんにちは!

旅作案内です。

この記事では

思いに駆られて出かけた旅

についてお話します。

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【やっと叶った旅】

私にとって

やっと実現した旅は

奄美大島への旅です。

はじめて奄美大島に

行こうと思ったのは14年前。

「絶対行く」という思いでした。

東京か鹿児島から

飛行機を乗り継ぐか、

鹿児島からフェリーで行くか。

遠方ということだけではなく、

当時サラリーマンだったので、

休むのも限界があり、

そこに行くためのハードルが、

とても高かったのです。

【奄美大島の画家】

「それでもどうしても

奄美大島に行きたい」

そんな衝動にかられたのは、

ある画家の絵に

出会ったからでした。

50歳で奄美大島に移住して、

泥染の工房の日雇いで

生活費と絵具代を稼ぎ、

描き続けた画家

田中一村の絵を

どうしても奄美大島で見たい

と思ったのです。

彼がどんな空気の中で

描く情熱を得て

何を見て感じて

描き続けたのか

それは現地に行って

自分で触れて知るしかない

そんな思いがありました。

【奄美パーク】

田中一村の美術館は

奄美大島の空港から

車で約5分の

奄美パークにあります。

優しい南国の植物が

生き生きと繁る公園は

その島を生涯愛した

田中一村にふさわしく

車からおりて深呼吸をすると

ドキドキしてきました。

【見えてきたこと】

地域の人が語る

田中一村の姿を動画で見て、

一人で貧しく孤独の中で

絵を描いていたのではないかと

勝手に思っていたイメージが

実際は彼がその地を愛したように、

彼も地域の人々に

愛され見守られていたことが

とてもよくわかり

なんだか安心しました。

美術館のところどころには

「一村さんに手紙を書こう」

という呼びかけがあります。

彼の魅力がどこにあるのかを

私に語る術はないのですが、

同じような思いで訪れる人が

たくさんいることも

知ることができました。

【終焉の家】

田中一村は自宅で

亡くなって発見されました。

その家が場所を移して

残っています。

小さな木造の家です。

雨戸で見えなかったのですが、

窓にサッシが入っているとかで、

画家は雨漏りの心配がなく

雨の日も絵が描ける

お城のような家だと

喜んだそうです。

その家に住んだのは

わずか11日間。

私たちの直後に

やはりここを訪れた

ご夫婦らしい男女がいました。

どちらからともなく

挨拶を交わしながら、

相手の方たちも

私たちと同じように

何かに惹かれるように

そこを訪れたということが

よくわかりました。

【まとめ】

「推し活」という言葉があります。

無縁な言葉だと

思っていたのですが、

この旅から戻って

「あれっ?これも推し活?

と言うよりも推しの旅?」

と気が付きました。

特に今回の旅は

狙わずして前半は冬の展示

後半は春の展示という

ラッキーに見舞われ、

今度は夏の展示と

秋の展示を見に行きたいと

欲が出てきました(笑)

旅の切っ掛け。

なんでもありですね。

【アクセス】

羽田空港・成田空港・関西空港・伊丹空港ほか九州の空港数か所から直行便があります。

また鹿児島からフェリーでも行けます。

地図

【アルバム】

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